【全州=金光鉉記者】 国内の製造業として初めて、労組が会社から経営権を引き継ぐ事例が発生した。 全州工業団地内の京城ゴム(代表・宋永頊)は赤字にあえぐ会社を解体することにしたが、同社の労組は会社から工場と生産設備を無償で借り受け、新たな会社を運営していくことにした。 運動靴・登山靴を製造する京城ゴムは1978年以来12年間にわたり法定管理を受けてきた不良企業。同社の労使は28日の合意に基づき、31日までに全従業員から辞表を受け取り、法人を解体することにした。 これにより、1932年に創立され、一時は「満月標ゴム靴」として名声をはせた京城ゴムは、還暦を2年前にして歴史の裏側へ消えることになった。 京城ゴムは1932年、民族企業家の青光・李晩秀氏(1891~1964)が創業し、当時としては女性用の黒いゴム靴の唯一のメーカーとして国内市場を席巻した。 「満月標」ゴム靴は娘たちの婚礼支度品として人気が高く、花靴の契が流行するほどだった。 1960年、四男の李容一氏(現プロ野球委員会事務総長)が経営を引き継ぎ、運動靴・登山靴・ケミシューズなどを生産、国内で初めて米国に2万ドル分の運動靴を輸出した。1960年代には1日1万3000足を生産し、年間470万ドルの輸出実績を上げたこともある。1986年には輸出実績が3000万ドルに達した。 法人が解体された後、労組(委員長・崔五順、30)は株主を募集し、専門家を招いて会社を新設することになる。 労組側はこうした作業を終えるため、9月1日から当分の間、休業する計画だ。 労組として今すぐ心もとないのは運営資金の調達である。会社の建物と敷地は会社側から3年間無償で借り受け、機械設備は必要な分だけ無償で貸与を受けることになっている。 京城ゴムは敷地6000坪余りに従業員500人余りを抱える靴メーカーで、6月末現在の累積赤字が420億ウォンに達する不良企業だ。1978年に法定管理が始まった当時の負債が4億ウォンだったから、12年間で赤字規模は100倍にも膨らんだ計算になる。 これに伴い、毎月、負債の利息だけで人件費の2.5倍に当たる4億ウォンが支出されている。 1970年と1972年に起きた大火災で致命的な打撃を受け、1978年には第2次石油ショックにも見舞われて同年に法定管理入りし、李氏父子の時代は幕を下ろすことになった。 京城ゴムが法人を解体せざるを得ない状況に至った原因について、同社の労使は相反する主張を展開している。 会社側は、労組設立後2年間に4度も発生した労使紛争と労働者の勤労意欲の減退が最大の原因だと指摘する。会社の事情を十分に知りながら無理な要求をためらわず、納期遅延が避けられない状況でも1時間の残業もしようとしなかったという。 一方、労組は、最大の債権者であり大株主である鮮京が、法定管理企業である京城ゴムから「取るものを十分に取ったうえで」、衰退産業である靴事業から手を引こうとしていると分析している。職場を失う労働者の不満が爆発することを恐れて法人を解体せずにいたが、累積赤字と労使紛争を口実に500人余りの労働者の生計を脅かしていると主張する。 会社側は経営悪化の原因として、人件費の上昇・勤労意欲の減退以外に、全州は靴産業を続けるには地域的に不利であり、靴事業の国際競争力が悪化していることを挙げる。 大半の靴メーカーが釜山地域に密集しているため、部品購入費・輸送費が多くかかり、熟練工を確保するのも難しく、バイヤーを誘致しにくいという。さらに労働集約的な靴産業は後発開発途上国の追い上げを受けるため、未練を残すような事業ではないと見ている。 いずれにせよ、京城ゴムが破局を迎えるまでに、労使間の不信の溝は回復できないほど深まってしまった。労組側は鮮京から送り込まれた管理人の会社更生の意志を信じず、会社側は仕事を熱心にせず給料だけを多くもらおうとする労働者を抱えては会社を生かせないという結論に至った。京城ゴムは法定管理を受けている間、鮮京を通じて海外から靴の注文を受け、生産品の全量を輸出してきた。一時は「アディダス」ブランドの運動靴を輸出して好調だったが、1980年代後半に経営状態は収拾がつかないほど悪化してしまった。 法人が解体される場面で労組が経営権を引き継ぐことにしたのは、労組がこれを望んだためである。 崔五順労組委員長は「会社が1カ月分の退職手当を渡して会社を閉じようとしたため、あまりに理不尽で経営権を引き受けることにした」と語る。 労組は、いざ会社から工場を引き継ぐことになると、「自分たちの力で会社を生かしてみよう」という期待と、「労組が運営する会社がうまくいくのを妬む勢力が出てきたらどうしよう」という懸念に浸っている。労組が設立した新会社が3年後に果たして工場を用意して移転できるかは未知数である。 京城ゴム管理課長の金永桓氏(39)は、会社の門を出る記者に「靴産業はあまりに労働集約産業なので、我々には合わない」と語った。 [写真]労組が経営権を引き受けた最初のケースである京城ゴム。
1990-08-31 | 金光鉉
法人解体で経営者を替えた全州「京城ゴム」、国内初の「労組会社」…再生に注目
本文はAIによる機械翻訳です。見出しは原文(韓国語)のまま表示しています。正確な内容は原文をご確認ください。






