1991-03-31 | 鄭鉉祐

[古典と現代経営]部下の統率は武より徳で 鄭鉉祐(淑明女子大学教育院教授)

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■統率に優れた者は徳を植える。 ここで吏とは官員あるいは官吏という意味だが、より広くはリーダーあるいは管理職と解釈してもよいだろう。優れた管理職とは、徳の力で人々を強化するという意味である。現代の管理職の中には、地位の力で部下を動かそうとする者が多い。 『私は部長(課長)だ。なぜ私の言うことを聞かないのか』という態度をそれとなく示す人が意外に多い。部下としてはそのような場合、頭を下げて服従せざるを得ない。何を言ってみたところで、結局は上司の命令に従わざるを得ないのが部下の立場である。しかし地位を盾にしてこうした言動を繰り返す上司であれば、部下の心には必ず反発が起こり、その結果、面従腹背とならない保証はない。 これは管理職としてさほど賢明な振る舞いとは言えない。それを免れるためには、一人の人間としての説得力を身につけておく必要がある。人間力あるいは人間的魅力と言ってもよい。地位を振りかざす人間ではなく、一人の人間として部下に接し、しかも説得力をもって向き合うことが望ましいということである。 そのためにはいくつかの要素を身につける必要があるが、表題の「統率に優れた者は徳を植える」という《韓非子》の言葉もその一例となるだろう。この言葉の出典は次の通りである。 孔子が衛の国の宰相であった時のことである。子皐という弟子が裁判官となり、ある男を足を切る刑、すなわち臏刑に処した。当時、このような刑罰に処された者を受刑と呼んだ。受刑後は城門の門番になる場合が大半で、この男も宮廷の門番となった。そしてしばらく後、衛の国王に中傷・謀略を告げる者がいた。 『殿下、孔子が反乱を企てております。』 衛王はすぐに孔子を捕らえようとした。孔子は仕方なく逃亡し、弟子たちも皆逃げた。子皐もまた城門から脱出しようとした。しかし臏刑に処されていたあの門番が子皐を呼び、 『さあ、早くこちらへお越しください。早く…』と言って城門脇の地下室へ案内し、隠してくれたのである。その夜、子皐はあまりに不思議に思い、その門番に問うた。 『私は国法に背くことができず、あなたを臏刑に処した。あなたは今こそその時の恨みを晴らせる機会ではないか。それなのに、どうして私を隠してまでくれるのか。私はこのような恩を受けるに足る理由などないのに…。』 すると門番はこう答えた。 『私が臏刑に処され足を切られたのは、それだけの罪を犯したからであり、どうにもならないことでした。ところが旦様は私を調べる際、あれこれと法の条文を確認しながら『こうしたのではないか、ああしたのではないか』と質問され、私に有利になるよう誘導し、何とか罪を免れさせようと努めてくださいました。私はそれをよく分かっております。そして判決を下される時は、ひどく苦しげな表情が旦様の顔にありありと浮かんでいました。それはおそらく私を偏愛したからではなく、旦様の天性が仁であるからでしょう。今、私が旦様に好意を示すのはそのためです。 ■現代経営のポイント 管理職にある者は苦しい時が多い。組織の意思決定を伝えられ、それを下の者に伝え、目的を貫徹しなければならないため、常に笑顔でいることはできない。 時には非情な決断を下さねばならない時もあり、それこそ諸葛孔明の泣斬馬謖をしなければならない事態も起こる。しかしいかなる場合であれ、子皐のような惻隠の心を持つ必要があるのである。