1991-06-30 | 鄭鉉祐

[古典と現代経営]鄭鉉祐(チョン・ヒョンウ)(淑明女子大教育院教授)賢者は無謀な行動をしない

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賢い人は運命に逆らわない。君子人不跟命爭(俚諺) 度胸だけでは生きていけない。 中国系の日本のプロ棋士である林海峰がまだ低段者だったころの話である。新聞記者たちが「もし財布を失くしたらどうされますか」と質問したとき、彼は次のように答えた。 「私は絶対に失くすことがありません」 「しかし、もし失くしたとしたら……」 記者たちが執拗に問うと、彼は「そうですね……。最初から財布を持っていなかったと考えるでしょう」と答えたという。 〈不跟命爭〉、すなわち、いったん起きてしまったことは仕方がないとしてきれいに忘れ、未練を持たないというのが中国人の典型的な態度である。 自分の力も考えずにむやみに暴れることを、中国人は〈螳螂當車轍〉という。韓国では〈螳螂車を拒む〉あるいは〈螳螂之斧〉という言葉でも通用する。 荘子の〈人間世篇〉には、「そなたはあのカマキリ(螳螂)を知っているか。その腕を振り回して車に立ち向かうが、あれは自分の力では到底かなわぬことを知らぬのだ」という言葉がある。これは自分の置かれた立場を知らずに他人に立ち向かう者の無謀さを風刺した話である。 昔、斉の荘公が狩りに出たときのことである。カマキリが前足を振り回して荘公の車の前に立ちはだかった。 「おお、あれは何という虫か」 荘公が随行員に尋ねると、荘公の車を操っていた御者はこう答えたという。 「あれは螳螂という虫でございます。前に進むことしか知らず、後ろに退くことを知らぬ虫でございます。そして敵に出会えば、自分の力も考えずむやみに飛びかかる奴でございます」 すると荘公は感心した様子で、 「おお、そうか。あれがもし人であったなら、間違いなく天下に勇名を馳せたであろう」 と言い、カマキリを避けて車を進めるよう命じたという。 斉の荘公は螳螂の勇敢な姿に感嘆して殺さず、情けを施したのだが、螳螂の行為が無謀であったことには変わりがない。無謀とは、計算も立たず可能性もないことをむやみに行う場合をいう。こうした振る舞いをすれば、どれほど勇敢な行動であっても中国人はその価値を認めない。孔子もこうした行為を〈暴虎憑河〉として軽蔑した。 命を惜しむことを知らぬ者とは……。 あるとき孔子が弟子の顔回に、「いったん登用されれば全力を発揮するが、認められないときは黙って形勢を見る。こうした境地で安んじられる者は、私とそなたぐらいであろう」と言ったところ、傍らで聞いていた子路が不満を漏らした。 「先生。それでは、もし先生が大国の総司令官になられた場合、どのような人物を信じて用いられますか」 子路は武勇を備えた者で、勇気という面では孔子の多くの弟子の中で第一であった。孔子の口から「それはお前だ」という答えが必ず出ると期待していた彼である。しかし孔子はこう答えたという。 「素手で虎に立ち向かったり(暴虎)、裸足で川を渡る(憑河)ような人、そんな愚かな人は必要ない。むしろ臆病者と言われるほど用意周到で、成功率の高い計画を綿密に立てる人を信じて用いるべきだ」 これは孔子だけでなく中国人に共通する認識であり、この点については昔も今も変わりがない。 ■現代経営のポイント 確かな計画もなく「まずぶつかってみよう」という調子で軽挙妄動しがちな人がいる。こうした人ほど失敗する確率が高いのは当然のことである。 〈不跟命爭〉とは、〈螳螂車を拒む〉や〈暴虎憑河〉よりもさらに無謀な行いだと中国人は考えてきた。この点、我々には学ぶべきところが多いと思われる。