1991-12-31 | 李南姬

[名著と10分間] ヘロドトス著「歴史」 ペルシア戦争を客観的に叙述

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ホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」がなかったなら、トロイの歴史は永遠に埋もれていたであろうし、シュリーマンの孤独な発掘作業がなかったなら、トロイの歴史は伝説としてのみ記憶されていたであろう。同様にヘロドトスの「歴史」がなかったなら、我々は紀元前5世紀の地中海東部沿岸地方の歴史について多くのことを知らないまま過ごさなければならなかったであろう。ヘロドトスは昔の話を叙事詩あるいは悲劇の形で聞かせていた当時の慣行とは異なり、可能な限り客観的にペルシア戦争の全末を記述しようとした。キケロが彼に付けた「歴史の父」という名が今日なお通用しているのは、まさにこのためだと言える。 一般にヘロドトスは紀元前484年にハリカルナッソスで生まれ、紀元前424年にアテネの新たな植民都市トゥリオイで死亡したと推定されているが、正確なものではない。彼はアテネに相当期間滞在したが、当時のアテネはペリクレス統治下の全盛期であり、当然ヘロドトスはアテネの文化に深い影響を受けた。しかしペルシア戦争を記述しながら、彼はペルシアについても公平に扱おうと努力した。ヘロドトスは過去の事実を叙事詩ではなく実証的な学問の対象とした最初のギリシア人であったと言える。「歴史」に利用された資料は大部分が彼が旅行しながら得た見聞と、その地の人々との対話の中から導き出した結論である。彼は史料を求めるためにギリシアはもちろんエジプト・バビロニア・シリア・南スキタイなどを旅行した。「歴史」の記述から推し量ると、彼は東西ではリビアからバビロンまで、南北ではエジプト南部のアスワンからウクライナまで旅行したものと見られる。当時の交通事情や地域の状況を考慮すると、このような広範囲の旅行は不可思議なものだが、「歴史」の中の生き生きとした記述は、そのような旅行が実際に行われたことを示している。 イオニア方言で書かれた「歴史」は全9巻で構成されている。膨大な分量であるだけに、一見して体系のない放漫な構成を取っている。しかし「歴史」の全体構図はペルシア戦争史の始まりと終わりを見せようという意図を持ったものであり、そうした作業の中で神を凌駕しようとする人間の欲望(ギリシアを占領しようとするペルシアのクセルクセス王の欲望)が、神の前でいかに無力なものであるかを示そうとした。 1巻から5巻までの内容は、ペルシアとギリシアが戦うことになった歴史的背景を数百年遡って記述している。その過程でギリシアの歴史だけでなくリビア・ペルシア・バビロニア・エジプト・スキタイなど、いわば小アジアとメソポタミア・エジプトなど近東地方の歴史と風物を、行き過ぎと思われるほど詳細に記述している。 ヘロドトスの歴史記述方法の真骨頂は、まさにこの部分にあると言える。彼は戦争に関連した国々の政治史だけでなく、地理・風習、さらにはその地域の生態までも詳細に記述している。またその地域住民の人間性や個々人の心理も詳細に描写することで、「歴史」を単なる博物誌以上のものにした。 5巻はイオニア人のペルシアに対する抗争を扱うことで、全体構成から見れば前半部と後半部の橋の役割を果たしている。6巻から9巻まではペルシア戦争を直接扱っている。 6巻はダレイオス1世による第1次ペルシア戦争を記述し、アテネとスパルタの歴史も紹介している。7巻からはクセルクセスによる第2次ペルシア戦争が記述されている。テルモピュライの戦い・サラミスの海戦で見せたギリシアの英雄的な抗戦を描写した後、プラタイアイおよびミュカレ湾の戦いを記述した。アテネによるセストスの陥落とクセルクセスの死が本書の末尾を飾っているが、ヘロドトスはいわば神の領域を侵犯しようとした人間が神によってどのような処罰を受けることになるのかを示したかったのであろう。 事物に対する科学的な認識も目を引く箇所である。もちろん当時の科学的知識の限界と、ヘロドトスが持っていた、そして同時代人の特徴と考えられる神に対する畏敬心が、現在の読者には不慣れで滑稽に見える部分もある。 神に対する敬虔な姿勢は本書を一貫している。重要な行動をする前に必ず神託を求めるギリシア人の風習について何の異議も提起しないだけでなく、むしろその神託の意味を推し量ることのできない人間の無知を痛烈に論じている。またペルシア戦争当時、クセルクセスの大軍が劣勢のギリシア軍に負けざるを得なかったのは、人間の傲慢を懲らしめようとする神々が海上でクセルクセスの艦隊を妨害したことが大きな理由であったと見たのも同じ脈絡である。 当時の地球の形に関する見解と天動説に立脚しては説明できない事実についても、自分は理解できないという但し書きを付けて紹介している。例えばフェニキア人がリビアの南端を回って西方向に航海すると太陽が反対側にあったという内容に関する記述や、ナイル川の氾濫について天動説に立脚してその理由を説明する部分は、当時の科学的知識の水準を反映したものであった。 アテネから深い影響を受けたせいもあろうが、彼の民主政に対する熱意も並外れたものであった。カンビュセスが死亡した後、ダレイオスが即位する過程でペルシア王位継承をめぐる討論があったという記述は、どうも作為的である。しかしその討論の中には独裁批判と民主政選好の精神が強力に表現されている。またスパルタがアテネから追放された独裁者を支援することに決定した背後を説明しながら、アッティカ民族が自由である限りスパルタに対抗する勢力に発展する可能性があると見て、彼らを弱体化させるためにアテネに独裁政を確立しようとしたという記述にも、民主政こそが国力を育てる最も優秀な制度だという認識が逆説的に表現されている。 ◇国内翻訳版:汎友社刊 書評:李南姫(イ・ナムヒ)(ソウル大講師・西洋史) [写真]◇ヘロドトス(Herodotus) ▲BC484?~BC425? ▲小アジアのハリカルナッソス出生。ギリシアの歴史家「歴史の父」 ▲BC445年ごろアテネに移住、ペリクレス、ソフォクレスらと親交を結ぶ。 ▲代表著書:「歴史」(全9巻)