1991-12-31 | 鄭鉉祐

[古典と現代経営] 鄭鉉祐(淑明女子大教育院教授)「相手の弱点を突けば好機はある」

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◇趁火打劫 -火の中に飛び込んで強盗を働く 「兵法三十六計」<勝戦之計、第五計> 劉邦、項羽を滅亡させる 始皇帝の死を契機として秦帝国が崩壊した後、天下の覇権を争ったのが劉邦と項羽という2人の英傑であった。この両雄の激突を楚漢之戦という。 劉邦は戦うたびに敗れ、常に追われるばかりの苦戦の連続であった。 しかしそうした中でも劉邦は粘り強く戦い続けた。こうして2年が過ぎ3年目を迎えると、劉邦側の戦略的優位が際立ち、項羽は孤立状態に陥っていった。 こうした情勢の中で、劉邦の要請により停戦協定が両者間に成立した。項羽は直ちに帰国の途につき、劉邦も兵を収めて故郷に帰ろうとした。 このとき軍師の張良と陳平が劉邦に進言した。 「今、わが漢は天下の半分を領有しており、諸侯もわが味方です。ところが項羽の側は兵力も消耗し食糧も尽きた状況です。これはまさに天が項羽を捨てた証拠でしょう。この好機に彼を攻撃しなければ、それこそ『虎を育てて禍の種をまく』のと同じです」 2人の発想は実に「趁火打劫」そのものである。今その息の根を止めなければ、いつまた襲いかかってくるか分からない。相手の弱点を活用し、徹頭徹尾叩き潰せということだ。 劉邦は大きくうなずき、万般の準備をして追撃し、ついに項羽を滅亡させたのである。 ◇宋襄之仁 春秋時代に楚が大軍を動員して宋に攻め込んだ。宋軍は敵を泓水のほとりで迎え撃った。宋軍はすでに陣形を整えて楚軍を待っていたが、楚軍の側は布陣どころか、まだ川も渡れていなかった。それを見て宋の軍司令官である目夷が襄公に進言した。 「敵は多勢、わが軍は小勢でございます。敵がまだ渡江をする前に攻撃するよう命令を下してください」 しかし襄公は、「ならぬ。そのような卑怯な真似はできぬ」として応じなかった。 その間に楚軍は渡江を終え、陣を敷き始めた。目夷が再び攻撃命令を下すよう進言したが、今度も襄公は、 「ならぬ。まだ陣形が整っておらぬ。陣形を整えた後に攻撃しよう」として攻撃命令を下さなかった。この戦いの結果は宋軍の大敗に終わった。当時の人々は、敵に情けをかけた宋の襄公の態度を嘲笑した。 ■現代経営のポイント 「易経」に「兄弟が家の中で争っても、外からの侵略があれば力を合わせて対抗する」という言葉がある。確かにこれは理想的である。しかし現実にはそうなるとは限らない。 これは家の中のことだけでなく、国家や企業にもあり得ることだ。内部対立、内部抗争はいずれも組織の体力を弱め、業績を低下させる。 周辺にそうなるのを待っている相手がいるなら、好機を逃さず容赦なく攻め込んでくるのは明らかだ。組織人はこの点を格別に注意しなければならない。