1992-06-30 | 薰

[映画評]白い戦争

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映画「白い戦争」は、監督・鄭智泳(チョン・ジヨン)の粘り強さと真摯さで彩られている。大作「南部軍」を成し遂げた彼でなければ到底手をつけることもできないほど、険しい製作過程がうかがえる。根性の俳優・安聖基(アン・ソンギ)が「韓国に置いてきた子どもたちがしきりに目に浮かんだ」と舌を巻いたほどであろうか。 歴史を見つめる鄭監督の視線は「反対側の歴史」「歴史の裏道」に向かっている。 「南部軍」では智異山のパルチザンに愛情のこもったまなざしを送っていたが、「白い戦争」では韓国軍の残忍な行いと、これに対するベトナム人の敵愾心を告発する。しかし、パクス・キャピタル(資本主義による平和)が語られるほど状況が変わってしまった今日、こうした単線的な歴史観は、ともすれば「方向のないヒューマニズム」あるいは「かわいそうな者への同情」の水準にとどまる懸念を生む。 鄭監督が真摯な勉強と思索によって一段高い次元に至ることを待望する。 小説家の韓基周(アン・ソンギ扮)はある日、ベトナム戦争の戦友である卞鎮秀(イ・ギョンヨン扮)から電話を受ける。この時から再びベトナム戦争の悪夢に苦しめられる。ベトコンの顔を一度も見られずに耐えなければならなかった退屈な緊張の時間、敵と誤認して射殺した良民・牛の群れ、そして帰国のわずか2時間前に起きた最後の戦闘と小隊員の全滅。 精神が異常になった卞鎮秀は果てのない悪夢の中をさまよい、韓基周は拳銃で戦友の苦痛を断ち切る。卞鎮秀のベトナム戦争は今ようやく終わったのである。 観客を笑わせようとした小隊員のパンツ検査の場面、大韓ニュース撮影の場面などは低俗な笑いだけを誘い、映画の重みに傷をつけた。あたかも「南部軍」で対峙中だった警察とパルチザンが突然「豆満江の青き水に」を歌いながら転げ回り、苦笑を誘った場面が思い浮かんで苦々しい。湖巌アートホール。【薫】