高麗CM生命保険(社長・申哲圭(シン・チョルギュ))の野球部はサッカーから生まれた。 新興企業が概してそうであるように、1989年6月に高麗証券と英国CMI社の合弁で設立された高麗CMは、会社設立後1~2年間、社員の親睦を図る行事が多かった。 そのうち、若い新入社員の入社が活発だった92年に営業チームと非営業チームのサッカー試合があり、試合後の打ち上げの席で誰かが「次は野球をやろう」と提案したことが「やるならきちんとやってみよう」という熱意につながり、コシム・エンゼルス(会長・韓慶烈(ハン・ギョンヨル)営業企画課長)が誕生した。 意外に素質を見せる社員がいたため、まずは彼らで選手陣を構成し、裵銓甲(ペ・ジョンガプ)常務を顧問に委嘱した後、会長を選出して運営陣を整え、ユニフォームをそろえ、社会人野球リーグの一つであるジャイアントリーグに加入した。奨忠洞の自由センターや漢陽大グラウンドなど近場を訪ねてボールを投げ合いながら、コシム・エンゼルスの会員25人は、社内では生まれたばかりの高麗CMが金融市場の波を乗り越えていくうえでそれぞれの役割を果たす一方、もう一つの新生児を育てるために積極的に乗り出した。 結局コシム・エンゼルスは、正式に野球をした経験はないものの、熱意だけは誰にも負けない会員たちの努力で、まずは第一歩を成功させた。 チームを創設した年であり、ジャイアントリーグに加入した最初の年である92年の秋のリーグ戦で組1位に立ち、総合戦でも3位を記録したのだ。 さらに24チームが技量を競ったこのリーグ戦でマナー賞と敢闘賞まで受賞し、コシム・エンゼルスは創設1年で職場野球愛好家の間に恐るべきチームとして浮上し始め、おかげで他の会社員に高麗CMを知らせる広報の役割も十分に果たした。 コシム・エンゼルスは独特の方針を一つ立てている。 月1回、他の野球愛好会と試合をする日は家族を同伴することとし、これを破れば、いかに技量が優れていても試合に出場させないというものだ。 こうした方針のためか、コシム・エンゼルス会員の家族は創設初期から厚い絆を誇ってきており、グラウンドに輪になって座り、夫人たちが用意した弁当を分け合って食べる風景がおなじみとなった。 「だから他の職場の愛好会と違い、結婚した後も抜ける会員がおらず、むしろ夫人たちが準会員として加入し、家族が増えていく」というのが韓会長の自慢だ。 1週間、業務に追われてたまったストレスを毎週バットを振って解消すれば、次の1週間が楽になるというのが会員たちの一致した言葉だ。 「会員が全てのことを自発的に進めていくので、困難はまったくない」という韓会長は、「今後も家族的な雰囲気を維持し、職場生活の活力源として育てていきたい」と語った。【金眞暎(キム・ジニョン)記者】 [写真]◇創設初年度である92年のリーグ戦を終えたコシム・エンゼルスの会員たち。
1993-04-30 | 金眞暎
[同好会] 高麗CM生保の野球部
本文はAIによる機械翻訳です。見出しは原文(韓国語)のまま表示しています。正確な内容は原文をご確認ください。






