1993-07-31 | 崔元龍

[ソウル経済新聞創刊33周年特集] ソウル経済33年、マンション33年 量的膨張一路…200万戸を目前に

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わが国のマンション文化はソウル経済新聞の33年と歴史を同じくする。ソウル経済新聞が1960年8月1日、国内初の総合経済紙として創刊された頃、国内初の大規模マンションである麻浦マンションが建設され、わが国にもようやくマンション時代が始まったからである。この麻浦マンションを皮切りに、全国のマンションは1965年にはわずか2021戸にすぎなかったものが、今では195万戸に急増し、わが国民の主たる住居空間として定着することになった。本格的なマンション時代を迎え、いまや我々のマンション文化も質的発展を追求し、一段の飛躍をなすべき時が来た。ソウル経済新聞社が建設部と共同で「韓国建築文化大賞」を制定し、昨年から人間が重視され環境と調和をなした優秀建築物を発掘して我々の時代の建築文化の表象としようとするのも、このような時代の要求を勇気をもって受け入れるためである。ソウル経済新聞創刊33周年を迎え、我々のマンション文化33年を振り返り、今後の未来像を設定してみる。【崔元龍(チェ・ウォンリョン)記者】 今ではありふれたマンションだが、ソウル経済新聞が創刊された1960年にさかのぼれば、マンションは「月へ行く宇宙船」ほどに馴染みのないものだった。 60年8月、第2共和国の張勉(チャン・ミョン)政権は政権を握るや、国民の再建意欲を鼓舞し住居水準を向上させるため、ソウル麻浦に10階建て高層マンションの建設を急いだ。 首相公館もなく半島ホテルを臨時に借りて使っていた当時の政府の事情からみれば、「エレベーターと水洗トイレを備えた超現代式高層マンション」を建てることにしたのは、大変な意欲であり冒険であった。 しかし政府の麻浦マンション建設計画は、援助者である米国側が難民救護住宅を多く建てるべきだとしてマンション建設に反対したため、難航することになる。 こうした押し引きのもつれのなかで5・16軍事クーデターが起こり、張勉政権は麻浦マンションを着工すらできないまま退くことになってしまった。 朴正熙(パク・チョンヒ)軍事政府は特有の押し切り式の気質を発揮し、61年10月16日、麻浦マンション6棟450戸の着工式を行った。 しかし「電気事情が良くないなかでエレベーターとは何事か」という世論に押され、麻浦マンションは当初の10階の高さからエレベーターを設置しなくてもよい6階建てに設計変更された。また中央暖房方式も『油一滴も出ない国で何の油ボイラーか』という非難に従い、各戸別の練炭ボイラーに変わった。 ソウル市民の多大な関心のなか、6階の高さの麻浦マンションは威容を現し始め、ついに62年12月1日に竣工式が挙行された。 しかし麻浦マンションは入居者を10%しか埋められない状況で冬を迎え、配管パイプが凍結破損する騒動を招き、その渦中で練炭ガス問題が発生した。事業施行者である大韓住宅公社は入居者の抗議に苦しみ抜いた末、職員を動員して人体実験を強行し、住公職員を練炭ガスが漏れる部屋で直接寝かせるという寸劇を演じたこともあった。 初期の困難を経た麻浦マンションは、日本製の洋式便器で施工された水洗トイレなど最新設備で人気を集め、竣工から1年も経たない63年夏からはプレミアムまで付き始めた。当時ソウルの新たな名物として登場した麻浦マンションをめぐり『明洞が麻浦に引っ越してきた』という流行語が生まれる一方、麻浦マンションを素材や背景とする映画も多く製作された。 こうして麻浦マンションが一般の人々に「マンションも住めるものだ」という事実を初めて確認させることにより、韓国のマンション文化はようやく幕を開けることになった。 もちろん日本統治時代の1930年にソウル光熙洞に彩雲荘アパートが建てられたことはあるが、名前だけがアパートであり、高さが3階であったため今の基準でみれば小規模な連立住宅にすぎないものだった。また50年代に入りソウルに韓米財団アパート・開明アパート・鍾岩アパートなどが建ったが、これらも階高や設備からみて単純な集合住宅にすぎず、麻浦マンションが国内で初めてマンション時代を開いたという点については異論がない。 「国内大規模マンションの草分け」として名声を保ってきた麻浦マンションも時の流れには逆らえず、91年3月、再建築のため22年間の歴史を締めくくり撤去された。麻浦マンションは今後15階建て高層マンションとして生まれ変わり、誕生当時の「高層マンション建設計画」を33年ぶりに実現することになる見通しだ。 韓国のマンションは国民に挫折と希望を交差させながら、急速な量的膨張を続けてきた。またマンション文化の軌跡も先進国とは異なり、余裕のある中産層がまずマンションを選択した後、庶民層に拡散する独特の成長史を演出した。 マンションは我々固有の住居様式と乖離を見せ、当初は「上品でない家」として扱われたが、次第に生活の利便性が浮き彫りになるにつれ人気を集め、中産層を吸収し始めた。 こうした趨勢に乗り、66年から71年までソウル龍山区の漢江沿い一帯8万4000余坪に3260戸の中産層用マンションが建設され、ソウル江南地域では▲72年からAIDマンション3786戸▲75年から蚕室一帯34万坪に1万8500戸の大規模マンション団地が次々と建った。また地方の場合も68年から釜山と大邱でマンションが姿を見せ始めた。 余裕のある中産層がマンションに目を向け始めてから、この地にはマンション投機の熱風が吹き荒れた。70年代末のソウル狎鴎亭洞の現化マンション事件もマンション価格の高騰のために発生し、マンション50戸を持つ大学教授が世論の叱責を受けたのも、マンションが住居ではなく所有の概念に変質した時代相の一断面であった。 その結果、マンションは庶民には絶望と苦痛を抱かせる「絵に描いた餅」として、余裕のある層には不労所得をもたらす「蓄財の手段」として投影された。 これにより「何坪のマンションに住んでいるか」によって各個人の能力が決まるという新たな社会現象まで現れた。特にソウル江南の高層マンションは富と権力の象徴としてパワーエリートの新たな住居地として定着し、全国に高層マンションブームを起こしもした。 建設部の調査によると、今年1月1日現在、全国のマンション(完工基準)は計8163団地の3万4400棟に195万2戸で、国内総住宅数831万戸の23.5%に達する。これは65年の2021戸に比べ965倍も増えたもので、毎年全国のマンションは平均30%ずつ急増してきた。★図参照 特に90年初めの123万6000余戸と比較すると、わずか3年の間に58%、71万3000戸も増え、第6共和国の新都市建設など住宅200万戸建設計画を契機にマンション建設に加速度が付いていることが表れた。実際、住宅不足問題を解決し土地利用度を高めるため、既存の一戸建て住宅を取り壊して高層マンションを建てるのが昨今の趨勢であり、遠からず国民の大多数が暮らしの拠点をマンションに置かねばならなくなると予想されている。 [図表] ◇規模別マンション戸数 [図表] ◇全国のマンション増加趨勢