1993-07-31 | 李承祐

33歳の「モナミ」 「世界最高の文具メーカーへ飛躍」

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中国の古典・周易は「33」という数字について「龍が雲に出会って天へ昇る格」と説明している。これを韓国の易術では「年輪から見れば、人が自らの能力を最大限に発揮し、再跳躍する年」と読み解く。8月1日で創刊33周年を迎えるソウル経済新聞と同じ年輪を持つ中堅企業、(株)モナミ(会長・宋三錫、66)は、易学の解釈をそのまま信じたわけではないが、会社創立33周年を迎え「世界の文具メーカー」に向けた大きな夢を広げている。 パーカーやモンブラン、シェーファーのように世界の超一流企業へ成長させていくという抱負である。 1960年に創刊された本紙とともに同年に設立されたモナミは、本紙が韓国の経済発展の道案内をしてきたように、文具産業の不毛の地であった韓国に新しい産業を育ててきた開拓者的役割を果たしてきた。 20世紀の50大発明品に数えられるボールペンだが、その歴史は韓国ではモナミから始まり、外国製に比べて遜色のない絵の具もまたこの会社の産物である。 本紙が言論統廃合によって長い休眠期間を経て再び経済正論紙としての地位を築いたように、モナミも輸入文具という外風に苦戦し倒産の危機を迎えたこともあったが、これを克服し、文具業界の代表走者の座を固く守り続けている。 宋三錫会長は、朝鮮戦争が勃発し混乱と廃虚が極に達した1952年にソウル商大を卒業し、貿易会社の三興社に入社して社会生活を始め、入社8年目の1960年、ソウル麻浦の渡し場付近に絵の具を製造する光信化学を構えて独立した。 倉庫を月払いの賃貸で借り、10人余りの職工がドラムで絵の具を作る初期の家内手工業ではとても良い品質が出なかったため、結局日本の寺西化学から苦労して技術指導を受け、日本製と遜色のない絵の具を国内で初めて市場に出し、「モナミ」(フランス語で「私の友」の意味)の商標は旋風的な人気を集めた。 創業2年でクレヨン・絵の具市場を制した彼は、1962年に景福宮で開かれた5・16革命1周年記念博覧会に展示された日本製ボールペンを見て生産を決心することになる。当時、韓国の大衆的な筆記具は鉛筆とペン先がせいぜいだった。 急いで日本へ渡り製造技術を持ち帰って製品化した「モナミ153」は初期には多少苦戦したが、大々的なボールペン使用キャンペーンを展開しながら恐ろしいほど売れていった。153というブランドは聖書でペテロがイエスの命によって獲った魚の数から取ったものだが、ボールペンでも奇跡が起きたのである。 ボールペンの人気爆発により売上高規模は1年で10倍ずつ跳ね上がり、1967年には社名もモナミに変えた。 従業員800人余り、昨年の売上高520億ウォンを記録したモナミは、文具類製造では世界最大規模の牙山工場とともに、コンピューター業や広告業など事業多角化を図り、タイに180万ドルを投資して現地工場を設立するなど、成長と発展を続けている。 「遠くを見て大きく考える」という経営哲学の下、研究所、現場、ソウル本社を行き来しながらひたすら品質革新に打ち込む宋三錫会長は「常に創業精神で企業を営んでいる」と語り、創業時代の意志を燃やしながら、もう一度飛躍の翼を夢見ている。 [写真]◇33年間、国内文具類製造業者の先頭走者として一貫してきた(株)モナミの宋三錫会長は、事業多角化とともにモナミを「文具類の世界最高企業に育てていく」と語る。 【李承祐記者】