高校を卒業するまでの間に聞いた三人の先生の言葉を、私は今も味わい続けている。 第一は、田舎の少年としてソウルに上り、高校生になって間もない1年生の初めのことである。ウォン・ドンシク先生が産業一般の時間に、『皆さんの先輩の中には、社長になると言っていた者が大企業に就職していた。社長になるのなら、たとえリヤカー商売であっても社長として出発すべきではないか。皆さんはどう思うか』という趣旨の問いを投げかけられたのだが、なぜか私は今でもその問いをしばしば思い出す。とくに人生をどう生きるかを思い悩みながら陶淵明の帰去来辞を読むときには、ウォン先生の言葉をいっそう噛みしめる。 第二は、2年生のときに漢文を教えてくださったハン・ヨンシン先生の言葉である。先生は、燕も論語をよく語るのに、近ごろの人間は燕にも及ばないようだと言いながら、燕が軒先に止まって詠むという句を唱えておられた。 後になって分かったのだが、その内容は論語に出てくる『由よ、汝に知るを誨えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ之を知ると謂うなり』という句であった。すなわち孔子が弟子の由に、知っていることを知っていると言い、知らないことを知らないと言うのがまさに知ることだと語ったのだが、燕のさえずる声がちょうど論語のこの部分の句を読むのに似ているというのであった。 最後に、高校3年のときに倫理を教えていたイ・ミンガク先生は、授業時間にとくにノートの整理の仕方を教えてくださったが、ずっと後になって筆者は司法試験で論文式答案を作成する際、初めてその教えに深く感謝することになった。 この文を読む方の中には、ゴルフの話でなぜ愚痴をこぼすのかと苦言を呈する人もいるかもしれない。理由はこうである。近ごろゴルフ練習場や法廷、あるいは街で人に会うと、どうすればゴルフがうまくなるのかという質問をよく受ける。そして、どのプロからレッスンを受ければよいかと尋ねてくる場合もある。 そのたびに私は、ゴルフは人生と同じだというある先輩の言葉のとおり、ゴルフをうまくなろうとする悩みは人生を見事に生きようとする悩みと同じであり、結局は先に挙げた三人の先生の言葉を思い出すことになるので、この話を欠かすことができず、このように長い愚痴を並べているのである。 そして、こう口を開く。先生ごとに教えは百人百様であろう。だから、あなたの体格に最も近い人を探し、その先生のフォームを模倣するよう努めなさい。とくにビデオを見る場合でも、あなたに似た体格のプロがスイングするのを頻繁に見て、あなたもそうできるよう努めなさい。 今の私に尋ねれば、私はあなたに、現在私が最も関心を置いている何らかの事柄を、暗に無条件で押しつけてしまう危険があります。ところが、しばらく経てば私はそれを忘れて、まったく別の点を強調しているかもしれません。ですから、あなたが本当にゴルフをうまくなりたいと願うなら、先に例に挙げたように立派な先生に出会い、一生指導を受けられることを願います。 あなたがよく知るジャック・ニクラスは、アマチュア時代にも、プロになってからも、長年試合を続ける間、いつも先生であるジャック・グラウトを訪ね、『先生、またゴルフをしたいのです。クラブの握り方、アドレスの仕方を教えてください。そしてスイングを見せてください』と頼みながらシーズンを迎えていたという。あなたも立派な先生に出会った後、ジャック・ニクラスのように数えきれないほど多くのボールを打てば、間違いなくゴルフがうまくなるはずです。
1994-06-30 | 蘇東基 〈변호사〉
ゴルフラウンジ ゴルフが上手くなるには
本文はAIによる機械翻訳です。見出しは原文(韓国語)のまま表示しています。正確な内容は原文をご確認ください。






