1994-10-31 | 心□ 禹大奎 <한일약품회장>

財界回顧 題字:権昌倫<2318>一筋の製薬人生〈15〉

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64年2月に韓逸薬品を買収した後、間もなく私は代表取締役社長に就任し、副社長には鄭元兵氏、常務には方圓柱氏がそれぞれ就任した。そして1年前から運営してきた工場経営企画チームを投入し、本格的な工場運営に入った。 輸入薬品商から製造業へ転換するには様々な困難があった。格別な企業経営技術が必要なだけでなく、買収直後に資金圧迫が押し寄せ、第一歩から苦しい行進をせざるを得なかった。 韓一薬品の買収金額は7800万ウォン。工場用地として用意していた土地を売り、3000万ウォン程度を起債してその資金を用意することができた。買収直前の韓一の63年度売上高はわずか5000万ウォンに届かず、薬品販売で回収した資金で買収直後にあちこちにかかる運営費用を賄うには力不足だった。 従業員5人に原副資材の購入、工場経常費用などで資金圧迫は予想外に重かった。わが国で一番の製薬会社をつくると誓い意欲に燃えていたが、どうにかしてこの難関は克服しなければならなかった。 ところが窮すれば通ずるもの。倉庫を探ってみると、風邪薬の原料である「アスピリン」が相当量積まれていた。静かに計算してみると、この原料で風邪薬をつくるとすれば、当時の売上基準で23年間使わなければならない膨大な分量だった。 「よし、これを売ろう。これだけ売れば、買収後のやや無理な投資から来る資金難から脱することができる」 一日も早く売却しなければならないが、その方法は何かと思案していた中で、私は大胆な宣伝と販売手法を導入しなければならないという結論を下した。年末までの9カ月間ですべて売るという大胆な目標を立てた。 私は宣伝に火をつけた。新聞も放送も問わず「バイエル・アスピリン」を叫ぶ広告を毎日掲載した。「風邪や体の痛みにはバイエル・アスピリン」「子どもにもバイエル・アスピリン」。 販促要員たちは全国の薬局と病院を回った。宣伝費を惜しまなかった。製品価格の半分に当たる2500万ウォンを広告宣伝に注ぎ込んだが、当時としては大金だった。 製薬業界ではその宣伝費を心配する声も聞かれた。「しかもアスピリンならアスピリンであって、バイエル・アスピリンが何がそんなに大したものか」という皮肉も聞こえてきた。 ところが私はこうした言葉を少しも気にせず広告を注ぎ込んだ。バイエル・アスピリンが他のアスピリンより優秀であることを知らせ、また一刻も早く原料在庫を減らさなければならなかったためである。 広告宣伝の効果が現れた。3月に始めたアスピリン完売作戦は予定期間より2カ月早く、その年の10月に目標を達成した。11月には倉庫の底が見え、12月には新たにアスピリンを輸入しなければならない立場に置かれた。作戦が効を奏したのである。もしあの時あの仕事が成功しなかったら、今日の韓一薬品が存在していただろうかと考えてみる。「敵地で軍糧を解決する」という中国のある将帥が用いた計略とでも言おうか。 ◇当時の「バイエル・アスピリン」広告。