故・李載濬(イ・ジェジュン)大林グループ名誉会長は1917年に京畿道始興で生まれ、1939年、22歳の若さでグループの母体である富林商会を設立し、今日の大林グループへと育ててきた。 故人は朝鮮戦争後、道路・港湾・発電所など国家基幹産業の建設に参加し、60年代半ばからは海外建設市場に進出、東南アジアおよび中東の建設市場で大規模プロジェクトを遂行するなど多彩な建設経歴を積み、韓国建設業界の生き証人と評価されてきた。 故・李会長は93年12月に長男の李埈鎔(イ・ジュンヨン)氏(現会長)に経営を任せ、名誉会長に退いた後も、最近健康が悪化する直前までソウル鍾路区壽松洞の名誉会長室に出勤し、知人に会ったり経営報告を受けるなど旺盛な活動を続けてきたと伝えられる。 故・李会長は表に出ることを嫌う静かな性格の経営者として知られている。 大韓建設協会の第12代会長を引き受けてほしいという勧誘が入ると、数度の辞退の末にこれを承諾したが、第13代まで続けてほしいという要請が相次ぐと日本へ身を避けてしまったという逸話は、今日まで建設業界で語り継がれている。 故・李会長は時間を惜しんで使うことで有名な企業人でもあった。 大林グループで20年以上勤務したという役員は「修巖(故・李名誉会長の号)は常に午前6時50分には出勤していた」として「彼はグループ内で最も早く出勤する人だった」と語った。 独特な性格の持ち主として数多くの逸話を残した故・李会長は、勤倹節約の精神に徹した経営者だった。 60年代、大林の職員は公務員と会えば地位の高低を問わずソルロンタンで昼食をもてなすのが慣例だったが、これは「食事のもてなしをする際、ソルロンタン以上はならない」という故・李会長の指示に従ったものと知られている。 一方、故・李会長は国会議長を務めた李載瀅(イ・ジェヒョン)氏(故人)の弟であり、自由党時代に野党議員だった兄のために税務査察など苦労を味わったこともある。 故・李会長が設立した大林グループは現在、大林産業および大林自動車、ソウル証券など12社の系列会社を抱える資産基準の財界順位13位(94年、4兆6380億ウォン)の企業である。
1995-11-30 | 韓相福
国内建設の発展を導いた巨木
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