作 朴男 画 東派の秘術である「房堂温養」は、仙道に入門すれば一定期間の修練を通じて習得できる。とはいえ誰もが手軽に身につけられるものではない。一定期間の反復修練によって「気の流れ」を調整できてこそ可能になる。 例を挙げればこうである。仙道における重点的な研究課題は女人の体である。その理由は、相手の体を通じて男の気を充溢させることができるからだ。色つやの良い果物は見た目も良く、食べても益がある。しかし傷んだ果物は嗅覚を惑わす熟れすぎた匂いを放つが、一口かじると同時に不快になる。 そうした理由から張三豊は女人を選ぶ際に「四美と五病」という基準線を引いておいた。すなわち、どれほど美しい女であっても、その評価基準は「四美」に属してこそ可能であり、「五病」の項目に入れば近づくなという警告の赤線である。 こうした関門を通過してこそ、初めて男に益をもたらす「鼎」として用いうるかの研究対象となる。かつて東派の秘伝である「方壺外史」には、女人の体を探っていく手法として柔らかな肌の愛撫を主張する。そうしてこそ、わずかにでも「元気」を呼び起こすことができると信じられてきた。 元気はおおむね体の末端に潜む。髪や手足の先に放置したまま房事を行うなら、それはあたかも刺身を酢コチュジャンにつけずに食べるのと同じ理屈である。したがって散らばった元気をいかに体の中心部に集めるかが問題の核心である。それに対する模範解答を「方壺外史」は提示する。 〈…相手の女が氷のように冷たくとも問題にならないのは、「元気」を体の中心部へ集めてくることができるからである。末端にある元気は、その先から触っていき、次第に足や腕の中央へ移動させれば、元気は水路が開かれた水の流れのように、導く気の溝に沿って中心部へ移動する。このような元気は性的に興奮すれば、よく熟れたサクランボのように摂取しやすくなる。元気はいつのまにか陽気に変わり、下腹部に位置するからである…〉 いわば目の前においしい果物が房のように実っているのを感知するようになるという意味である。しかし問題はこの次である。目に見えるからといって、むやみに「元気」という果物を摘むのは正しくない。一定の法式によって、どこ一つ傷つけることなく口の中へ招き入れなければならない。
1996-04-30 | 姜永洙 作 朴男 畵
小説 素女経<341>
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