1997-12-30 | 박동석

エース・テクノロジー/通信用RF部品輸出で高成長(台頭するベンチャー企業)

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◎研究人材が全体の25%も/今年1000万ドル輸出塔を受賞/来年の売上高1000億ウォン目標『中小企業が研究所を設立するというので、周囲の人々は皆、偏見の目で我々を見た。金融機関までもが資金を心配してか、研究所設立に否定的な立場を示した』 具官永(ク・グァンヨン)エーステクノロジー社長(50)は、研究所を設立した1990年代初めを忘れられない。当時はまだ研究所は大企業が持つものと認識されていた時期だった。売上高25億ウォン規模の中小企業が研究所を設立するというのは想像もできないことだった。 周囲の冷たい視線のため、具社長は苦労を味わわなければならなかった。しかし彼の意志は確固としていた。技術がなければ生き残ることは難しいという判断で、具社長は研究所設立を強行した。具社長の判断は的中した。当初は資金難に苦しむなど途方もない苦労をしたが、早くから研究開発に注力した結果、国際通貨基金(IMF)の寒波に耐えられる耐性を育てたのである。 具社長が注目した分野は移動通信部品だった。研究所を設立する前、エーステクノロジー(当時の社名はエースアンテナ)はカーフォン用アンテナを主に生産していた。 エーステクノロジーは移動通信用RF(高周波)部品の開発に注力した。1991年には世界的な通信会社であるAT&T社と無線電話機アンテナの長期供給契約を締結し、同年には無線呼び出し基地局用ISOLATOR/COMBINERを開発した。 今年3月には日本企業との技術提携で車両搭載用衛星放送受信アンテナを開発した。技術のトレンドは具社長が予測した通り移動通信だった。エーステクノロジーは国内の携帯電話基地局用RF部品の60%以上を供給している。早くから部品開発に積極的な投資を行ったからこそ可能だった成果である。 このためエーステクノロジーは、国内移動通信市場の急成長と歩調を合わせて快速成長を続けてきている。研究所を設立した1990年の売上高は32億ウォンだった。しかし研究開発の成果が可視化され始めた1993年には60億ウォン、翌年には114億ウォン、1995年161億ウォン、1996年200億ウォンなどと急成長を示した。特に今年の外形は750億ウォンに達すると推定されている。 個人携帯通信(PCS)が本格的にサービスされるにつれ、基地局用部品の需要が爆発したためだ。来年の目標は1000億ウォン。具社長は会社の規模が大きくなるのに比例して研究能力を拡充している。エーステクノロジーは現在、本社、仁川南洞工業団地、ソウル良才洞の中央研究所など3カ所に研究所を持つ。研究人材は全体人員の25%に達する80人前後である。 エーステクノロジーの真価は、最近のような乱世でよく表れている。ドルを稼ぐことができる確実な武器を持っている。 『昨年は66億ウォン分を輸出した。今年は130億ウォン程度になりそうだ』今年1000万ドル輸出塔を受けたエーステクノロジーは、輸出物量を大きく増やしている。輸出先はAT&T、アルカテルなど名前を聞けば分かる世界的な通信企業だ。米国、日本など技術先進国と比べても優秀な製品を作り出しているからこそ可能な輸出先である。 来年からは、やはり世界的な通信企業であるエリクソン社に輸出する計画だ。輸出物量は今年より2倍以上増えた3000万ドル前後になる見通しである。 エーステクノロジーが最近のIMF寒波を乗り越えられる要因は、輸入原材料の比重が5%以下と低い点にある。国産化を大きく進展させてきたためだ。 『今は輸出しかない。IMF緊急資金支援の危機を乗り越えられる道は輸出だ』具社長は今後、輸出比重を大きく高めていく計画である。一方、エーステクノロジーの社員たちは、IMF寒波の中で単に金を稼ぐ会社と映ることに大きな不満を持っている。人々はエーステクノロジーがこれまで一つの井戸を掘る努力と専門技術開発に注いだ汗と苦労を考えず、見た目だけを見るからである。

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