1998-06-29 | 尹和鎭

[ロータリー] 雄牛の涙 尹和鎭(ユン・ファジン)(前金融改革委員・経済学博士)

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私は涙を流しながらこの文を書いている。 先日、休戦ラインを越えていく牛を見つめながら涙を流した離散民たちの姿と、「むしろ牛にでもなれたら…」という彼らの叫びは、20世紀のこの地球上で最も大きな悲劇を抱えて生きる我々をよく物語っている。 この民族の大ドラマを演出した現代グループの鄭周永(チョン・ジュヨン)名誉会長のまなざしが、その日に限って一段と牛の目のように見えたのは私だけの錯覚だろうか。人間愛に満ちた彼の粘り強さと同情心は、非情な現実を堂々と克服した人間勝利の要諦であった。 そして故郷で親族たちと涙で再会する姿は、ただ座って見ているには余りにも胸に迫る感動として近づいてきた。 しばしば我々の政党や政治家は、牛の粘り強さと忠実さを借りて自らを牛にたとえる。しかし人間愛と同情心のない彼らの強引な推進力は、高度の経済成長とともに乾いた現実を作り出した。どれほど急迫した状況でも、牛の着実な余裕に学ぶべき時であるように思われる。 筆者は近ごろ、山水の秀麗な漢拏山と智異山に登りながら、統一が実現して我々が失った金剛山、白頭山、妙香山を訪ねられたらどれほど良いだろうかと考えた。我々皆がそれほどまでに願う、錦繍江山の礼賛論者になるのである。 これほど美しい我々の山河に比べ、我々の現実はこの上なく暗い。近ごろ海外旅行の途中、ある同胞と対話を交わしたことがある。 彼は我が国の経済発展と錦繍江山の礼賛論に大いに熱を上げていたが、「すべて良いのだが…」という但し書きを付けた後、南北の分断と我々の政治現実を嘆き始めた。互いを慰め、憐憫の情を分かち合うしかなかった。 我々は牛のように不平を言わず着実に人間の幸福に寄与する政治家と企業家が生まれることを願っている。あふれる人間愛と不幸な隣人に送る一人の老企業家の人間精神が、我々をより余裕あるものにし、乾いた心を潤す契機になってほしい。