2000-07-31

囲碁英雄戦第4譜

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囲碁英雄伝 第4譜好敵手がいなかった棋士 キム・ボンソンに続きキム・ミョンファン、シン・ホヨル、チャン・グクウォン、ミン・ヨンヒョンがそれぞれ先番でチョ・ナムチョルと十番碁を行ったが、チャン・グクウォンを除く残りの棋士はいずれも「先二」に手合割が改められた。チャン・グクウォンは第2次十番碁に挑戦したが、結局手合割が変更されてしまった。 こうなると新聞社では、チョ・ナムチョルを外してキム・ミョンファンとキム・ボンソンの十番碁、キム・ボンソンとチョ・サンヨンの十番碁を続行してファンの関心を呼び起こそうとしたが、大きな人気を得ることには失敗した。 1948年から1965年までの17年間はチョ・ナムチョルの独走時代だった。誰もチョ・ナムチョルの牙城を揺るがすことはできなかった。チョ・ナムチョルには好敵手がいなかったため、常に一人で脚光を浴び、一人で優勝賞金を独占したが、実はそれが彼の不幸だった。 もし彼に良いライバルがいたなら、彼の碁はさらに進歩していたであろうし、ファンの人気ももっと熱を帯びたであろう。 1950年代末までは、国内のすべての棋士の水準はチョ・ナムチョルに対して先番かそれ以下だった。彼が互先の相手を迎えたのは1960年代半ばにキム・インの碁が成熟して以降だったが、そのときすでにチョ・ナムチョルは43歳であり、チョ・ナムチョルは互先の相手に出会うやいなや崩れてしまった。 それまではすべての棋士がチョ・ナムチョルという名前の前に頭を下げて過ごしていた。ただ一人例外があり、それがキム・ミョンファン四段だった。キム・ミョンファンだけは常に気をくじかれず、豪語していた。 『小細工にやられて今回は負けたが、本当に堂々とぶつかれば互角の勝負になるはずだ。』 彼は常にこう言っていた。彼はチョ・ナムチョルと100局以上の公式対局を持った。チョ・ナムチョルに対する勝率は1割にも満たなかったが、それでも彼は時折り勝ち味を知る唯一の棋士だった。(73…続く) ノ・スンイル・囲碁評論家 入力時間 2000/07/31 18:54 ◀ 前画面

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