2002-08-30

金富軾(キム・ブシク)の女性観

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数十年にわたり歴史小説の執筆をはじめ古代史に関する著述を頻繁に行っていると、どうしても金富軾(キムブシク)の『三国史記』を参考にせざるを得ない。『三国史記』は、わが国で最古の正史と認められている書である。しかし『三国史記』は高麗中期の金富軾が事大主義的な歴史観と儒学的な倫理観に立って編纂したものであるため、歴史的真実を歪曲した部分が多く、ゆがんだ女性観も随所に表れている。『三国史記』にはそれなりに肯定的な面もあり、また三国時代の事実を紀伝体で記述した唯一の史書であるという点で史料的価値も高いが、すでに同じ高麗時代の一然・李奎報・李承休といった知識層から否定的な評価が出ており、朝鮮朝に入ってからも安鼎福のような人物は「あまりに粗雑で誤りが多く、歴史書とは言えない」と酷評した。それだけでなく、近世の民族主義史学者の申采浩は「金富軾の高句麗史を百回読むより、集安の高句麗遺跡を一度見る方がよい」とまで述べた。ところが筆者が本当に語りたいのは、『三国史記』の歴史的価値や事実歪曲についての是非を論じることではなく、金富軾の女性観である。歴史を研究し歴史小説を書く立場からすると、『三国史記』は結局一種の必要悪のような存在となったが、読むたびに金富軾のとんでもない女性観には笑いを抑えられない。『三国史記』には、金富軾個人の歴史観を表した論評が31か所付されている。「論曰」で始まるこの論評から、女性を蔑視した代表的な一節を紹介する。この「論曰」は、新羅本紀・善徳女王条の後半部に付いている。「天地について言えば陽は強く陰は柔らかいものであり、人について言えば男は高く女は低いものである。どうして老いた婆が奥の間から飛び出して国家の政事を処理することを許せようか。新羅は女をつかみ起こして王位に座らせたのだから、まことに乱れた世にこそあり得ることであって、国が滅びなかったのは幸いであった。『書経』には雌鶏が夜明けに鳴くと言い、『周易』には雌豚が跳ねると言うのだから、どうして戒めないでいられようか」。このように金富軾は、自分を産んでくれた母も女であり、自分を内から支えた妻も女であったにもかかわらず、女性を雌鶏や雌豚にたとえる暴言を働いたのである。金富軾がこれほど激しく女性を蔑視したのは、彼が女性嫌悪のような精神疾患にかかっていたからではなく、ひとえに三国時代の女性たちの政治的・社会的地位を正しく理解できなかったためと見られる。彼自身が編纂した『三国史記』の記録を分析してみても、新羅・高句麗・百済における女性の地位は、後代の高麗や、三従之道だ男尊女卑だと言って女性を極度に蔑んだ朝鮮時代とは比較にならないほど高かった事実が分かる。女性の政治的地位もそうであるが、社会生活も極めて自由奔放であった。たとえば新羅ではわが国の歴史上例のないことに女王が三人もおり、神宮の祭官も女性が務めた。また、儒教的な倫理・道徳観とは相反するものの、男女間の関係も今日よりはるかに開放的であった。新羅王族の近親婚の話は省くとしても、歴史的に有名な人物のうち正式な婚姻関係ではない野合を通じて生まれた私生児が多かった点である。たとえば円光法師や斯多含、金庾信といった大物が私生児であり、法興王は王子時代に百済へ入って東城王の娘・宝果公主と通じ、後代の人物である百済の薯童王子が武王として即位する前に徐羅伐に忍び込んで善花公主と情を通じ、百済へ連れて来て夫人としたという例も有名である。また新羅では貴賓に妻妾を「もてなす」風習もあった。高句麗の始祖・鄒牟聖王(高朱蒙)も、母の柳花夫人が解慕漱を自称する遊び人の誘惑に負けて妊娠したのであるから、今日の基準で見れば私生児であり、平岡公主が父王の命に背いて宮殿を飛び出して温達に嫁いだ話も有名である。また于皇后が自らの意志で次の帝王を選び、女王に劣らぬ権力を行使した事実もある。それだけでなく、わが古代史最初の女傑として知られる百済の国母・召西奴を見よ。沸流・温祚の二人の息子を持つ寡婦の召西奴は、東扶余から亡命した鄒牟にほれ込み、身と心を捧げて彼を助けて高句麗を建て、後に突然小后に格下げされたことに伴い、二人の息子を連れて南下して百済を建国したのである。それにもかかわらず金富軾は、このような三国時代の女性たちの活躍を軽んじて見下し、女性の存在価値の基準をひたすら孝行・貞節だけに合わせたのであり、『三国史記』列伝に登場する人物55人のうち女性が孝女・知恩と薛氏女、そして都彌の妻のわずか3人にすぎない理由もそこにある。時代と人物によって人間を評価する価値の尺度は異なり得るだろうが、男であれ女であれ等しく貴い存在であり、したがって調和と均衡をなして互いに尊重してこそ家庭と社会と国の発展を成し得るのが道理である。それにもかかわらず、ひたすら固陋な男尊女卑思想に従って女性を過度に蔑視した金富軾の女性観は、いくらなんでもやり過ぎだったという感を拭えない。/黄元甲(小説家・韓国風流史研究会長)

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