「政治家と精子の共通点は?」「人間になる確率が20億分の1」。
半月ほど前、ある私的な集まりで、ある大学教授が放ったジョークである。「韓国は議会乱闘の分野で世界チャンピオン」という米国の政治外交専門誌フォーリン・ポリシーの記事が一座の話題に上がった時のことだ。笑いはしたが苦々しかった。その笑い話は新しいものではなく、十数年前にも聞いたものだ。それが今も通じるということは、山河が二度変わるほどの歳月が過ぎたにもかかわらず、わが政治家の行動がさほど変わっていないという話ではないか。
「けんか政治」世界的な嘲笑の的
実際、第18代国会の1年余りの姿を見れば、こうした嘲笑を受けても言い返す言葉がない。対話・説得・妥協、民主主義の原則、品格と権威など、本来国会が備えるべきイメージと姿はどこにもない。その座を無条件の反対と押し切り、占拠座り込み、暴言と暴力、空転などが代わりに占めた。ハンマー・電気のこぎり・粉末消火器が動員され、与野党議員が入り乱れて押し引きする混乱は、外国メディアの報道に見られるように、いつまでも世界的な嘲笑の的となった。国民は国の恥に言葉を失った。
幸い無事に終わりはしたが、鄭雲燦(チョン・ウンチャン)首相の任命同意をめぐって混乱が再現されないかと、はらはらする思いで見守らなければならなかった。来る日も来る日もけんかで日を過ごすうち、民生経済法案の処理は後回しにされるのが常だった。対立と利害関係を調整し、問題解決に努めるべき国会が、逆に問題を外に持ち出して対立と分裂を拡大再生産したことは、またどれほど多いことか。それでいて「国民のために」という言葉を口にして生きている。その結果、尊敬され権威があるべき国会が、不信と嘲笑の対象に転落したのである。
昨夏、趙錫来(チョ・ソクレ)全経連会長は政界に苦言を述べて痛い目に遭った。企業人にとって政界批判は禁忌である。後難が恐ろしいからだ。企業人なら誰もが知る事実を趙会長が知らないはずもないだろうに、よほどのことがあったのだろう。「わが政治は問題を解決するよりも問題を作り出している。国会は自らの仕事をせずけんかばかりし、政治はどこへ行ったのか跡形もない。厳しい経済を立て直すのに政治がどれほど役に立ったのか問いたい」。
政界が色をなして出てきたのは当然のこと。すぐに「政治の権威毀損」「他人事のように言うな」という矢が返ってきた。しかし趙会長の指摘はまったく間違っていない。また一般国民の批判の語調に比べれば、彼の発言は批判の部類にも入らない。
いよいよ秋夕(チュソク)連休が始まる。多くの人々が家族や隣人と会って話に花を咲かせ、政界も帰郷活動を繰り広げて民心把握に乗り出すだろう。会話の最大の話題は経済だろう。経済の話は自然に政治につながるものだ。「商売にならず死にそうだ。経済を立て直してくれ」「庶民は暮らしが苦しくて死にそうなのに、政治家は毎日けんかばかりするのか」。与野党を問わず議員が地域住民から最も多く聞く言葉ではないか。
与野党、秋夕の民心をしっかり見よ
与野党はこれまで、このように切実な民の声を片方の耳で聞いて片方の耳で流してしまうか、自分好みに解釈して相手方への攻撃の武器として活用してきた。もはやそれではならない。今の国民の政治と政治家に対する視線は、不信を越えて嫌悪の水準に達した。これは政治家はもちろん、国民と国家にとっても不幸なことであるだけに、克服されなければならない。その一次的な責任は当然、政界にある。秋夕連休が終われば通常国会の活動が本格化する。国政監査に続き、各種法案審査や予算審議などが続く。
秋夕の民心を謙虚に受け入れ、よく心に刻んで、これまでのような滅茶苦茶な国会とはがらりと変わった姿を見せなければならない。そうでなければ政治と政治家のイメージは回復不能になるかもしれない。けんかではなく対話と妥協で生産的な国会をつくること。それが国民の要求であり、政治がすべきことであり、政治家が生きる道である。






