2009-12-31

[寄稿/1月1日]グローバル・ボヘミアンを夢見よ

本文はAIによる機械翻訳です。見出しは原文(韓国語)のまま表示しています。正確な内容は原文をご確認ください。

大学4年生の次女がある日、突然「どの会社に就職すればいいのか」と尋ねてきた。

「どうしよう」。適当な答えは浮かばず、頭の中は激しく揺れた。「いわゆるスペック(SPEC)は悪くない。成績、語学、インターン経験など足りないものはない。だが中位圏の大学だ。SKY(ソウル大・高麗大・延世大)出身でなければ書類審査の峠を越えるのは容易ではないだろう」。あらゆる思いをふるいにかけた末、答えらしきものとして「とりあえず筆記試験を実施するところが挑戦してみる価値のある会社ではないか」と答えた。

結果は予想通りだった。少し名の知れた会社は例外なく書類審査で落とした。面接どころか筆記試験を受ける機会さえ与えなかった。

スペックに縛られすぎた雇用市場

そのときになって「しまった、浪人でもさせてSKYに行かせるべきだった」という思いに身震いした。当該企業の人事担当者に抗議の電話でもしたい気持ちが山ほどあった。おそらく似たような経験を持つ他の親の心も変わらないだろう。

1970年の大学入学定員は高校卒業者の4.5%程度だった。そのためか当時は就職もよくできた。ところが2010年の大学入学定員は高校卒業者の95.6%だという。すべての高校生が大学生になるということであり、4〜7年後には全員が大卒の就職戦線に飛び込むという話だ。彼らが大学を卒業したとき、行き場はあるのだろうか。

雇用なき成長の時代だという。1%が10万人を雇用し食べさせているとも言われる。50万〜60万人が毎年新たに就職戦線に飛び込むが、就職率は半分にも満たない。主要20カ国(G20)首脳会議の議長国である韓国の雇用の現実である。

孫の世代はまたどうだろうか。私が娘にした答えを、子どもたちが孫たちにするのではないか。俗な言い方だが、供養の飯でもいただこうと思うなら孫がうまくいかなければならない。親の立場からすると頭の中は複雑極まりない。

心配が心配を生むと言うが、楽観するには現実があまりに暗い。どの大学の出身かがスペックになる時代はなかなか変わらないようだ。国民の教育熱を考えれば高等教育を縮小するのはさらに難しい。ならば教育を受けたことを生かせる時代を早めなければならないが、国内の雇用は足踏み状態だ。

解ける兆しも見えない。景気が良くなっても同じだろう。挑戦し創造する職種よりも、言われた通りにすれば定年を保障される職種に若者が集まるのも当然ではないか。これでは我々の孫が食べていく未来の動力を見いだすのは難しい。国内の舞台だけでは、未来の動力を生み出す人々を経済の主役として登場させるにはあまりに狭いという話だ。

ならば外の舞台を自分のものにしてはどうか。統合経済と自由貿易が大勢だ。金は競争力のある場所へ素早く移動している。金が動くのに国境などとうに消えて久しい。仕事を得るのも結局は金を稼ぎ達成感を満喫するためだとすれば、仕事の国境を崩してみるのがよい。わが国の代表的企業が国内を飛び出して海外で勝負するように、今は「人の質」で国際的な勝負をする時だという思いがする。

「人の質」で国際的に勝負する時

その面で政府や教育機関は人材を輸出資源化する方策を講じなければならない。「21世紀の張保皐(チャンボゴ)軍団」をつくろうという話だ。国内就職ではなく多国籍企業の全世界の支社・支店を目標に新エリート集団を育成すれば、韓国は「21世紀の清海鎮」になり得るだろう。彼らが21世紀を動かす「グローバル・ボヘミアン」になれば、彼らは自ら定年をつくり出すだろう。

自ら能力を培い、能力が及ぶ限り世界の舞台を駆け巡るだろう。企業が経営難に直面すればリストラの対象になるのではと恐れ落胆する世代ではなく、「自分の能力で国家と子どもと孫を食べさせる」ロマン派になるだろう。喫茶店で「トラジ・ウイスキー」を傾けていたベビーブーマーのロマンではなく、全世界で国格を高めるそういうロマンである。

これほど長く雨(雇用危機)に打たれたのだから、そろそろ虹を見る時にもなったという気がする。

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