2010-02-28

「韓国人のサッカー愛の根は抗日運動」

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2002年の日韓ワールドカップなどでの「赤い悪魔」現象に代表される韓国人の格別な「サッカー愛」が、抗日闘争の性格を帯びながら始まったという研究が出た。

ソウル大外交学科修士課程の卞成鎬(ピョン・ソンホ)氏は、サッカーが初めて伝来した1890年代から1920年代までに発刊された新聞・雑誌17種と朝鮮王朝実録などを分析し、28日にこのように主張した。「スポーツを通じた承認闘争-日本植民地期のサッカーを中心に」という論文で最近外交学修士の学位を取得した卞氏は「韓国の近代化に大きな影響を与えた日本・米国では野球が国技のように扱われるのに、ひとり朝鮮半島でサッカーが人気を集めたのは、日本と対決して勝てる領域だったためだ」と評価した。

1910年代までは11人1チーム、前後半各45分といった最も基本的なルールも守れないほど原始的だった韓国サッカーは、1921年の第1回全朝鮮サッカー大会を起点に急成長し、1926年には培材中サッカー団が日本本土の大会に出場して優勝する快挙を成し遂げた。同年7月には朝鮮蹴球団が日本遠征に出て、東京・上海・朝鮮・高麗の4チームによる連合リーグで3戦全勝の優勝を飾った。

朝鮮蹴球団は翌年に来韓した日本の鯉城サッカー団と1勝1敗を記録し、極東オリンピックに日本代表として出場して優勝した早稲田のチームを2勝1敗で破った。1928年には当時サッカーの「メッカ」だった上海遠征で西洋人チームと対決し、4勝2敗の成績を上げもした。善戦を受け、サッカーは1930年代に民衆の心情的支持を受ける事実上の国技として位置づけられた。朝鮮中央日報は1936年3月1日付で「我々の国技であるサッカー」という表現を使った。卞氏は「人間としての主体的権利を認められなかった朝鮮民衆は、日本と対決して勝ち、世界舞台で卓越した技量を誇ることで国際的な存在価値を証明しようとしたのだ」と分析した。

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