2010-12-31

[本と世の中] 中国代表作家たちの熾烈な人生、人生の座標を提示

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中国の文人たちは卓越した文学的才能を発散することで、同時代を生きる民衆の熱望を代弁し、時には深い憂いを慰めもした。自然を友とし、自然の中で現実の理想政治の実現を夢見た中国の文人たちの詩を通じ、彼らが後世に残そうとしたメッセージに出会うことができる。絵は世を憂う文人(士)の心を神仙になぞらえて描いた謙斎・鄭敾(チョン・ソン)の「司空図詩品帖」

21世紀は「ニューミレニアム時代」というバラ色のレトリックとともに訪れたが、節制の美徳を忘れて突き上がるばかりだった人間の欲望は結局、世界的な経済危機を生んだ。また物質的な豊かさを得る代わりに精神的に荒廃し、現代人は人生の意味と目的を失いつつある。真摯な思惟と純潔な探究が次第に消えていく昨今、それゆえ人生に対する真摯な省察と情熱への渇きは深まるばかりだ。

中国史研究家の劉小川は渇きを解消するため、時間の車輪を数千年前に戻し、中国を代表する文人たちの生涯に向き合った。紀元前3世紀、楚の理想政治の実現のために汨羅江に身を投じた屈原から、20世紀初めに中国人の意識改革の先頭に立った魯迅まで、波瀾万丈の生を送った中国の代表的文人18人が残した生の痕跡を辿り、後世に残そうとしたメッセージを探し求めたのである。

卓越した才能を持ちながらもそれを発揮する機会を得られず、放浪と狂気で歳月を過ごした李白、人生を回り続ける水車程度と見なして放浪をやめなかった柳永、貧しさを清らかな生の座標とした陶淵明などが詩を通じて残した時代への熱い苦悩、人生への真摯な省察などが、長い歳月を超えて生き生きと迫ってくる。このように中国の文人たちは卓越した文学的才能を発散することで同時代を生きる民衆の熱望を代弁し、時には深い憂いを慰めてくれた。そのため中国の文人は大部分が政治家であると同時に、人間は自然の一部にすぎないという哲学を謙虚に受け入れた生態主義者でもあった。

中国最高の詩人として「詩仙」という別称まで得た李白は、自らの才能に頼って俗世での立身出世を狙ったが、ついに夢を果たせず放浪の歳月を送り、その放浪はやがて狂気に満ちた生へとつながった。李白が個人的な欲望と現実の壁の間で血を吐くように詠み出した詩がまさに「行路難」である。「黄河を渡ろうとすれば氷に塞がれ/太行を登ろうとすれば雪山が立ちはだかる/ままよ、のんびりと碧渓水で釣りをし/舟に乗って日を巡る夢でも見ようか/人生の道、人生の道、まことに難しい/この道あの道、多くの道、我が行く道はどこか」

今日、中国最高の歴史家と称えられる司馬遷の労作「史記」は、彼が将軍・李陵を弁護して漢の武帝の怒りを買い、宮刑(男性の生殖器を物理的に除去する刑罰)を受ける中で経験した恥辱と苦痛を文章に昇華させたものである。温和だった彼の文章は宮刑を受けた後に激烈な血の色を帯びるようになり、「史記」を満たす民衆的価値観と闘争性も、不当な絶対権力に対する彼の怒りを雄弁に物語る。司馬遷は「人は誰でも一度は死ぬが/時にある死は泰山より重く/時にある死は羽毛より軽い」という詩を通じて決然たる意志を表現した。

著者は、眩しい文章に昇華された中国文人たちの熾烈な生涯を詩を通じて振り返ることで、これまでわれわれが忘れて過ごしてきた情熱と苦悩、真の「人間らしさ」についての省察の時間を持つことを提案する。著者は「過去を生きた文人たちだが、今日のわれわれの肖像とあまりにも似た彼らを発見することになる」とし、「欲望と現実の間で歓呼し葛藤する生を続け、桎梏の歳月を透明に反映した中国文人たちの詩と文章は、現代人に厳粛な人生のメッセージとして迫ってくる」と語る。3万3000ウォン。

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