2013-07-31 | 최수문

[歴史の香り] 鍾路区チャンイサ寺の幢竿支柱

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三国時代の朝鮮半島で最も苦しかった人々は、今のソウル地域の人々であろう。漢城百済時代が475年にHansungの火の海とともに幕を閉じ、ソウルなど漢江下流地域は高句麗の支配下に入った。ソウルの人々の苦難の始まりである。羅済同盟の力で百済が551年に旧都を奪還したが、喜びも一瞬だった。新羅が553年に裏切った。ソウルの人々の国籍は戦争とともに変わった。破壊と殺傷がいかなるものであったかは想像に余りある。80歳まで生きた人であれば、百済人→高句麗人→百済人→新羅人の順に三国すべてを経験したことだろう。新羅は唐と連合し、泗沚百済に対する最後の攻撃を660年に準備する。百済と新羅の運命がこの戦争にかかっている。新羅が背後に神経を使わざるを得なかった理由である。これに先立つ659年、今の鍾路区新営洞に荘義寺という仏教寺院が建てられる。三国遺事は、武烈王が百済との戦争で死んだ長春郎と罷郎という二人の花郎を追慕するためにこの寺を建てたと記した。民衆に対する無条件の忠誠の要求である。荘義寺は消え、今は洗剣亭小学校が建っている。新羅の寺の痕跡は、写真のように統一新羅時代に造られたと推定される幢竿支柱だけが残った。

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