2014-02-28

[ストック&ストーリー]3・1運動の導火線、貿穀熱

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「戊午米騒動」が発生した当時の1918年8月10日付「精白米相場変動通知表」。1年で米価が3倍近くに急騰した。 魏文福(ウィ・ムンボク)ハナ大投証券e-Business支援部副部長 1918年7月23日、日本の岡山では婦女子らが米価上昇に抗議して精米所を焼き払う事態が発生した。米価急騰で困窮に陥った日本の農民の騒擾は8月13日に鈴木商店が全焼するなど、収拾がつかないほど広がり全国的な暴動に拡大した。初代朝鮮総督としての功労を認められ首相に上がった寺内正毅も、日本で前例のないいわゆる「米騒動」により、結局9月29日に内閣総辞職とともに退いた。日本政府は本土の米価急騰に備え、安価で良質な朝鮮米を大量に買い付けていた。農務省が15円内外だった朝鮮米1石当たり5円の補助金を支給し、鈴木商店京城支店を通じて密かに買い付けているという噂が証券街の情報誌を通じて急速に広まった。情報が早かった荒木仲買店の荒木助太郎が仁川米豆取引所社長の飯田茂登雄、日本十八銀行支配人の森常吉と結託し、期米先限(3カ月物)を大量に買い付けると、米価は天井知らずに跳ね上がり始めた。貿穀熱(防穀令撤廃後の穀物貿易の熱風)が始まったのである。

仁川米豆取引所の相場が急騰すると、食糧を買えない下層で全国的に餓死者が続出した。これに総督府は窮余の策として米廉売を施行した。しかし8月28日午後2時、京城救済会の鍾路小学校臨時廉売所で待機者800人以降に早期売り切れ事態が発生すると、腹が減ったと抗議していた一人の老婆が治安を維持していた警察との衝突の過程で死亡する事態が起きた。列に並んでいた群衆が集団デモに出た。こうしたデモ事態は次第に全国へ広がった。米価の急騰が一般物価全般に波及すると、平壌の東洋煙草会社や兼二浦の三菱製鉄所、南満州鉄道龍山工場、京城電気電車課などで同盟罷業が起こるなど、賃金労働者の抵抗も激しくなった。

ついにスペイン風邪が猛威を振るった10月からは数カ月で朝鮮で14万人が死亡する事態となり、収穫する農民が不足し、それによる不作で米価は火に油を注いだように50円まで突破した。翌年1月21日に高宗皇帝が逝去すると、朝鮮人の民族的悲しみは極に達した。米価急騰による朝鮮人の抵抗は高宗の毒殺説とともに独立運動へと転換した。東京での「2・8独立宣言」と高宗の因山の2日前の「3・1独立宣言」により、朝鮮全半島に独立万歳の叫びが響き渡った。仁川で始まった貿穀熱が3・1運動の遠い導火線であったなら、高宗の因山が起爆剤になったといえる。

仁川米豆取引所の貿穀熱から100年余り後の現在のソウル証券市場は、外国人の売買動向によって3年間騰落を繰り返している。「株式会社大韓民国」の最大株主が外国人に変わってからすでに10年以上が経つ。大韓民国の証券市場が外国人に振り回されないためには、時間がかかっても自生力を育てなければならない。

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