2022-11-30 | 베이징=김광수 특파원

[江沢民元主席死去]中国の高成長を導いた「上海閥」の首領…天安門の流血鎮圧も

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30日に死去した江沢民・前中国国家主席は、1989年の天安門事件を流血鎮圧し、鄧小平に認められて後継者の座に就いた。毛沢東―周恩来(1949~1976年執権、第1世代)、鄧小平―趙紫陽―胡耀邦(1977~1992年執権、第2世代)に続く第3世代の中国最高指導者に数えられる。

江前主席は1926年8月、江蘇省揚州で生まれた。1943年に南京中央大(のち上海交通大に統合)の産業技術および電気機械学部に入学した。1947年に上海交通大の電子機械科を卒業した後、旧ソ連モスクワのスターリン自動車工場で留学し、帰国して長春の第1自動車工場のエンジニア、国務院機械工業部および電子工業部の部長を務めた。1966年の文化大革命で党と公職から追われ、10年間隠遁生活を送った。

江前主席は1985年、自らの政治的故郷である上海で市長を務めることで注目され始めた。1989年6月4日の天安門事件当時、政府の武力鎮圧を積極的に擁護し、鄧小平の信頼を得た。鄧小平は当時の趙紫陽総書記を解任し、江沢民に総書記と軍事委員会主席をいずれも委ねた。軍事委主席に就いたのは1993年である。中国で初めて党・政・軍の権力をすべて握った江沢民は、2003年まで中国最高指導者として在任した。

江前主席は、共産党が知識人と資本家・人民など3大勢力の根本的利益を代弁すべきだとする「3つの代表論」を唱えた。上海出身の人物を大挙起用し、いわゆる「上海閥」の首領となった。3つの代表論は2002年に党規約にも挿入された。鄧小平以降、最大10年に制限された任期のため、江前主席は2002年に胡錦濤に総書記職を、2003年に国家主席職を引き継いだ。最後まで握っていた中央軍事委員会主席職は2004年9月に手放した。しかし、国家中央軍事委主席職の辞任後も、幕後で強大な影響力を行使した。

江前主席は、上海閥とともに主要派閥に挙げられる共産主義青年団系列の胡錦濤前主席が自らの後継として李克強首相を推すと、共青団派閥を牽制するため習近平を推した。しかし習主席の執権後、強力な反腐敗運動によって上海閥の没落を寂しく見守るしかなかった。

江前主席は先月開かれた第20回共産党全国代表大会(党大会)にも出席せず、健康が大きく悪化したという噂も流れた。

中国共産党は「全党・全国・全国各民族人民に知らせる書簡」を通じて「悲痛をもって通告し、深い哀悼を表する」として葬儀委員会の公告を発表した。

公告によると、江前主席の葬儀期間中、北京の天安門、新華門、人民大会堂、外交部、香港の中国連絡弁公室、マカオの中国連絡弁公室、在外公館に焼香所を設け、香港・マカオ地域と駐在国の弔問を受け付けるとした。あわせて慣例に従い、外国政府、政党、友好人士が代表団や代表を中国に派遣して追悼行事に参加するよう招請はしないと付け加えた。

中国共産党は江前主席の葬儀委の名簿も公開した。習主席が主任委員であり、李克強首相、栗戦書・全国人民代表大会常務委員長、汪洋・全国人民政治協商会議主席が名を連ねた。続いて李強・趙楽際・王滬寧・韓正・蔡奇・丁薛祥・李希など習近平執権第2~3期の中央政治局常務委員と、胡前主席、朱鎔基・温家宝前首相、呉邦国・前全人代常務委員長なども葬儀委員に含まれた。

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