1年前に41歳の若さで突然この世を去ったデザイナー、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh・1980~2021)は、ファッション業界はもちろん建築、音楽、美術など多様なジャンルで認められた万能クリエイターであった。アブローは2018年、白人中心のラグジュアリーファッション界の歴史上初めて、ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)の「黒人」アーティスティック・ディレクターに任命された。LVMH傘下のルイ・ヴィトンに合流する前、すでに自身のストリートファッションブランド、パイレックス(Pyrex)とオフホワイト(Off-White)を成功に導いた経験を持っていたアブローは、既存の高級ブランドに偏在する「上質」なイメージを振り払うため、多様なブランドとのコラボレーションを試みた。ストリートファッションのシュプリーム(Supreme)、スポーツウェアのナイキ(Nike)、家具のイケア(IKEA)、日本のネオ・ポップアートの代表作家である村上隆(Takashi Murakami)などは、アブローと長く協業してきたパートナーである。
ブルックリン美術館が、アブローのキャリアを振り返る回顧展「Virgil Abloh: Figures of Speech」を開いている。2019年にシカゴ現代美術館で初めて開かれたこの回顧展は、米国内のハイ美術館、ICAボストン美術館といった主要機関へと引き継がれてきた。アブローはブルックリン美術館での展示を準備する途中、以前から患っていた悪性の希少心臓腫瘍で生を終えた。
アブローは1970年代にアフリカのガーナから米シカゴ郊外へ移ってきた移民家庭で育った。学部ではエンジニアリング、修士では建築を専攻した彼は、大学院時代に著名建築家レム・コールハースとプラダの協業を目にしてファッション界に関心を持つようになる。2009年にイタリアの有名ファッションブランド、フェンディ(Fendi)のインターン期間を経た彼は、人気ラッパーのカニエ・ウェストの目に留まる。ウェストのアルバムカバーをはじめ複数のアートディレクションを担い、アブローは一気にスターダムへと上る。
その後アブローは「パイレックス」を公式ローンチし、自身の名をファッション界に刻み込む。パイレックスは当時在庫があふれていた「チャンピオン」や「ラルフローレン」のTシャツを1枚50ドルで買い入れ、ブランドロゴを再プリントして10倍を超える価格で売り直した。アブローの「クール」なブランド戦略は通じ、販売結果も大成功だった。アブローは後に「パイレックスは、ファッションの流行を誰がつくり主導するのかという問いを投げかける一種のパフォーマンスだった」と語った。
パイレックスの系譜を継いで「オフホワイト」が誕生した。製品に付けられた赤いケーブルタイと半透明のタグはオフホワイトのスタイルとして定着し、爆発的な人気を集めた。引用の象徴であるダブルクオーテーション(“ ”)の中に商品を指す単語を直接書き入れたのもオフホワイトのシグネチャーだ。代表的には革のバッグの上に「Sculpture(彫刻)」と記すことで、自らがデザインしたバッグが単純なファッションオブジェではなく芸術の領域まで拡張し得るというコンセプトを提示した。これはデュシャンが便器を逆さにして日常的なオブジェもまた芸術になり得ると主張したのと似た文脈で、世界中のファッションピープルの心を奪った。こうした破格の試みが、彼がルイ・ヴィトンを保有するLVMHのディレクターの座を得る土台となった。
今回の回顧展は、アブローが生前に多方面で活動したことを証明しているようだ。彼が創作した多様な芸術品、デザイン商品の原本、家具などが展示された。絵画と彫刻が主に設置されてきた展示会場とは明確に異なる風景である。アブローがファッションショーで使っていたDJミキシング機器から、自らデザインしたナイキのシューズ、オフホワイトとルイ・ヴィトンの衣類で埋め尽くされた展示会場は、まるで百貨店のショールームを訪れたような感覚を与える。スーツに革靴よりオフホワイトのスニーカーを履くことがより「クール」な世の中になった。ファッション界でストリートとラグジュアリーの境界が消えていくように、美術界でも次第に作家の独創性を象徴する「オリジナリティ」の重要性が鈍くなっている。アブローが示した多様な協業の形は、ファッションを超えて同時代の芸術の現在地をよく代弁している。/文・写真(ニューヨーク)=オム・テグン アートコンサルタント






